沿革

 

校名の由来

旭小の校名が決まるまでには、いろいろないきさつがありました。

明治35年、3つの小学校が統合されることになりましたが、それぞれの地区の人々が、自校の名称を残そうとして、その正統性を主張して譲りませんでした。
そのため、何回村会を開いても校名が決まらなかったので、とりあえず相原小学校として開校しました。
その後、何度かの村会を経て、ついに翌年の2月8日、当時の霧生増兵衛村長は、徹夜も辞さずとの決意で協議にはいったと伝えられています。
そのエピソードの一つが次のようなものです。

村長の固い決意をよそに、三地区の主張はゆるがず、ついに夜中まで議論が続いて、疲れはてた議員たちもウトウトしはじめた頃、外は雪になっていました。
翌朝早く、村長の大声に驚いて目をさました人々は、一面の銀世界に目を洗われる思いでした。
この村長が、「今日は明けて9日、九日を記念し、この文字を組み合わせて『旭』という校名にしようではないか。」と提案したところ、全員の賛成を得て、校名が決定されたといわれています。(沿革誌より)

 

 

旭小 永遠に

旭小学校創立100周年を記念し、本校に在籍していた有馬朗人元文部大臣から「自然に学ぶ」の書をいただきました。
また相模原市の小川市長に校名を揮亳していただきました。

平成12年11月15日、旭小に在籍していた元文部大臣・科学技術長官の有馬朗人先生が来校し、創立100周年のお祝いにと「自然に学ぶ」という書をいただきました。
贈呈式で有馬先生は、昭和14年当時の旭小周辺の風景を踏まえながら、「この学校で学んだことはたくさんあります。その中で一番学んだことは『自然に学ぶ』ということでした。皆さん、伸び伸びと勉強をして遊んでください。そして自然からもたくさん学んで、将来社会に出て活躍をする準備をしてください。」とあいさつされました。

 

書「自然に学ぶ」は、正面玄関の右側に掲げられています。

   

有馬朗人(ありま・あきと)先生プロフィール

昭和5年生まれ。東京大学理学部物理学科卒。
東京大学学長、第15・16期中央教育審議会会長、文部大臣、科学技術庁長官など歴任。
現在、参議院議員、東京大学名誉教授、理学博士、国際俳句交流会会長。小学3~5年生まで旭小学校で学び、在学中に“将来は物理学者になる”と決めたそうです。

 

         

 

 

 

更新日:2023年07月07日 13:38:59